2011年9月3日土曜日

言葉と概念

「言葉がないのは概念がない証拠だ」ってよく言いますけど、ちょっと違うんじゃないかと思うようになりましたね、最近。かならずしもそうとは言えないんじゃないかなあ。
たとえば、「世間体」という言葉のない国では、世間体を気にしないみたいな。そういう話です。

ところで「肩こり」になるのは日本人だけだって話もありますね。「肩こり」という言葉があるのは日本だけだそうです。そもそも「肩こり」という言葉がないから、肩こりにもならない。ほんとかな。
でもよその国の人でも、日本に住んで数年経つと肩がこるようになるとか。疑わしいなあ。
「凍傷」を知らないイヌイットに「凍傷」という言葉を教えたら、途端に凍傷になりはじめたなんてのも聞いたことがありますが、こういうのは、まあ、多少大げさに言ってるところもあるのかもしれませんが、一応それなりの真実を含んでるんでしょうかね。

なんの話かな。ちょっと最初に戻りましょう。
ある言葉がないということは、概念がないということを意味するかどうか。
当たり前のような気もしますけど、でもこんなのはどうでしょう。

視力検査。想像してみてください。
ずらーっと「C」の形の記号が並んだ紙に向かって、少し離れた地点へ立って片目をふさぐ。
あの視力検査表に印刷されてる、あの「C」の記号。あれなんというかご存知ですか。
「ランドルト環」というそうです。へえ、あんなものにも名前があったかという感じですけど。
でもそれを指し示す言葉なんかなくても、ちゃんとあれの概念はみんな持ってるんじゃないかなあ。
「Cみたいなやつ」とか「視力検査の例のあれ」とかが名前といえば、名前なのかもしれないけど。

あと、あれね、プールのあとに使う目を洗うやつ。
だいたいみんな知ってるでしょう。
「ああ、例のあれね」と頷かれたことと思います。
やっぱりあれについても、言葉は知らずともきちんと概念としては把握してるように思う。そうでしょう。
でも、やっぱりこれも例としては弱いかなあ。ダメかもしれません。
あれそのものの名前は分からないにせよ、「蛇口」という言葉は知っているわけだし、それのプールバージョンという把握の仕方をしてると思えば……言葉なしで概念把握してるとは言えないような気もします。いけないね。
ところで、あれの名前は……残念ながら私も知りません。

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